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ハードボイルド的減塩食介護日乗

減塩食レシピ作りで料理の修行中。介護の日常と非日常・・・タフでなければ介護はできない、優しくなければ介護をする資格がない。

介護者は天ぷら定食を味わえないけれど・・・

父は現在、ショートステイ(老人施設でのお泊り)に行っています。月に一度の3日半。父のちんぷんかんぷんな言葉や不快な咳痰の音、手際よくできるようになっても精神的に慣れることがない介護おむつの交換。これらから完全に解放されます。それがどれほど心休まるものか。介護と無縁の人には想像するのも難しいでしょう。

毎日、塩分に注意した食事を出しています。正直、面倒です。だから、この期間は食事の用意もしたくありません。いつしか1日だけ出前を頼むのが習慣になりました。ファミレスやピザ屋やチェーンの寿司屋ではありません。昔ながらの町中にある定食屋です。僕が子供の頃に行ったことがある店です。そんな店の料理をネットを介して注文し、今でも食べることができる。しみじみといいなあという気持ちになります。今回頼んだのは天ぷら定食と生姜焼き定食(共におかずのみ)。塩分度外視も気持ちいい。

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父の手前、ふだん晩酌はしません。でも、今夜は僕が作ったまずい料理ではありません。当然、飲みたくなります。僕はビールから、母はワインを。おいしい料理においしいお酒。父には申し訳ないですが、口腹の楽しみにまさるものはありません。

でも、そんな月に一度の至福の時間も決まって破られます。父がいない平穏な食卓をかき乱すものが必ず現れるのです。その名もマサコちゃん。彼女に会ったことはないので、顔かたちは分かりません。でも、性格や能力はよく知っています。

マサコちゃんはのんびり屋さんです。勉強の面でもそうでした。先生も厳しく、この問題が解けるまで帰ってはいけませんと、よく居残り学習をさせられます。泣きべそをかきながら机とにらめっこするマサコちゃんですが、サチコちゃも困ります。二人は大の仲良しで、学校にも一緒に通っていました。危なっかしいマサコちゃんを一人置いて帰るわけにもいかないし・・・。

窓の外が暗くなってくると、さすがに鬼のような先生も折れます。もう遅いから帰りなさい。二人はやっと、歩いて1時間の帰宅の途につきます。田舎の夜道です。周りには田んぼと畑しかありません。長い一本道の前から頬かむりをした得体の知れない人が歩いてきました。

二人は怖くなって、道の端に寄ります。すると、その人もその方に動きます。二人が反対側に寄ると、その人もまた。二人はますます怖くなりますが、前に進むより他に道はありません。いよいよ近づいてきました。そして、「遅かったじゃないの、サチコちゃん!」。同居していたサチコちゃんの叔母さんでした。心配して迎えに来てくれたのでした。優しい叔母さんはマサコちゃんも家まで送ってあげました。

いったい何回聞いたことか。この話を、サチコちゃんから父のショートステイ中の夕食時に必ず聞かされるのです。一言一句ほぼ変わりません。父がいるふだんの夕食はお通夜のように静まり返ります。それはそれでもう構いません。失語症の父の前で何か話を切り出せば、自民党民主党の不毛な国会論戦のように収拾がつかなくなります。でも、女の人はおしゃべりです。父がいないと、母はここぞとばかりに話し出します。それもいつも同じ話を。さすがに、こっちはうんざりします。せっかくの海老の天ぷらもちょっぴり味が変わります。

母方の祖母は認知症気味になって亡くなりました。お母さんは晩年、同じ話ばかりしてたわねと、母は時々言います。今の自分も同じような状態になっていることには気がつかずに。

年寄りによくある話です。人は不思議なもので、教科書通りに老いていきます。母の子供の頃といえば戦争の時代です。家も貧しかった。ひもじいからサチコちゃんと畑泥棒をした、空襲で命からがら逃げた、身ぐるみを剥がされる上野の戦災孤児を見た・・・そんな話も何度も聞きました。ただ、そうした昔話をする母はとても楽しそうです。鮮明に思い出します。人はたとえ辛かったにせよ、無邪気でいられた元気な子供の頃がやはりいちばん幸せなものなのかもしれません。

だから、母の話の腰を折るようなことはしないようにしています。それでなくても、骨粗相症、脊柱管狭窄、ぎっくり腰・・・医者からは100メートルを歩くのも大変だろうと言われている体です。そんな体でも、幸せだった遠い昔に帰ることができる。僕の耳にできたタコは、それこそ天ぷらにでもして食べてしまえばいいだけのことです。