酔いどれ介護者の減塩食日記

減塩食レシピ作りで料理の修行中。介護の日常と非日常・・・タフでなければ介護はできない、優しくなければ介護をする資格がない。

バイオリンとピアノとブログ、介護者に檜舞台は似合わない

こんなメールが来ていた。「ハードボイルド的減塩食介護日乗」とはこのブログの以前のタイトルだ。

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それはさておき、わたしはテレビに出たことがある。

子供の頃、バイオリンを習っていた。雨で増水すると異臭を放つ川が目の前に流れている古い社宅住まい。別に、金持ちのお坊ちゃんというわけではない。時は高度経済成長真っ盛りの頃。それほど珍しいことではなかった。住宅街を歩いていると、ピアノを練習する音などもよく聞こえてきたものだ。

見栄張りの父に通わされた。子供にたくさんの稽古事をさせていた同僚への対抗意識だった。近所の友だちは公園で野球をして遊んでいる。それを横目に見ながら、渋々教室に向かう。バイオリンを抱えてフォークソングを歌ったさだまさしが登場する前の話だ。教室で扱うバイオリンのクラシック音楽は、平凡な子供の耳にはなじめなかった。父がふだん接していたのも田端義夫などの大衆的な演歌だ。高尚なクラシックの素養なんてこれっぽっちもなかった。

母によれば、それでも文句を言わずに教室に通い、自宅で練習もしていたという(意外だった。自分の中ではバイオリンを辞めて、野球がしたくて仕方なかったから)。それなりに上手になったのか、親戚の結婚式で弾いた。それは覚えている。そして、どんな経緯だったのか、こちらはまったく記憶にないが、子供オーケストラの一員としてNHK教育テレビ(現・Eテレ)の音楽番組に出ることになった。どこかのホールで収録した様子や、ドキドキ緊張しながらバイオリンを弾いた感じは何となく覚えている。

いったい日本全国の何千万人がわたしの雄姿を見たのだろう。だが、その何千万人のうちに、わたしやわたしの家族は含まれていなかった。当時からボケていたのか、あろうことか、父と母はテレビの放送日を間違えた。当時はDVDはおろかビデオもまだなかった。わたしは一世一代の自分の晴れ姿を見損なった。

バイオリンは父の転勤とそれに伴う引越しで、自然に辞めることになった。そのときはこれで存分に野球ができると嬉しかった。でも、あのテレビ放送を見ていたらどう思っただろう。その後の自分の人生に何かしらの影響を与えたのだろうか。

・・・と、冒頭に掲げたメールを見て、思い出したのだった。メールが届いたのが4月4日。メールに気づいて開いたのが20日。毎日のアクセス数が1桁のブログが「今日のイチオシ!ブログ&レシピ」。それなのに、自分のブログの晴れ姿を見損なった。そのスクリーンショットでも撮れば、ブログを書くモチベーションも上がったのに・・・。

この部屋には古いピアノがあった。妹に習わせようと、父が買い与えたものだった。でも、きかんぼうの妹は嫌がってほとんど触らなかった。以来、わたしが遊びでポロンポロンと叩いた程度で、数十年間、何代かの家のリビングルームの飾りとして置かれてきた。

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それも、もうない。楽器も飾りももういらない。わたしが4年前に金を払って処分した。代わりにここに必要になったのはベッドだった。そしていま、わたしはそこで眠る人を介護している。

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