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酔いどれ介護者の減塩食日記

減塩食レシピ作りで料理の修行中。介護の日常と非日常・・・タフでなければ介護はできない、優しくなければ介護をする資格がない。

焼き鳥はじめ、大人の味を教えてくれた父が入院する

木曜日の夕食はスーパーの惣菜で済ませるつもりだった。画像にある、海老と豆腐の天あんかけ2個と茄子とトマトのチキンポテトチーズ焼を主菜にして、塩分はだいたい一人2グラム強。

だが、この席に親父はつかなかった。だから、自分の酒のつまみ用に買ったねぎまの焼き鳥も並べて、母と二人で食べた。

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思えば、焼き鳥とのつきあいは古い。小学生の頃、よく会社帰りの親父を駅に迎えに行った。別に大好きな父に早く会いたいとか、そういうわけじゃない。親父が駅前の焼き鳥屋で決まって一杯やるのを知っていたからだ。

向こうは何と殊勝な息子なのだと思ったのかもしれないが、こっちは単に焼き鳥が食いたい一心。ジュースを飲みながらでもうまかった。時々、お前も一杯飲めとビールを飲まされたりした。そして、焼き鳥の皮だかしろだかをチューインガムよろしくくちゃくちゃ噛みながら自宅まで歩いて帰ったものだった。

焼き鳥屋デビューも早かったわけだが、銀座のクラブ初体験もこの頃だ。親父と伯父とその友だちに連れられて後楽園球場にプロ野球見物に行った日のこと。たぶん、巨人対中日戦だったのだろうが、試合のことは何も覚えていない。記憶にあるのはナイターが終わったあとのこと。

父たちは家とは反対方向に向かう電車に乗った。夜遅くに、この人たちはいったいどこに行こうとしているのか、でも置いていかれたら大変だと、恐怖に駆られながら早足であとをついて行ったのを覚えている。

そして、行き着いた先が銀座の高級クラブだった。あら、いらっしゃい。かわいいぼくちゃんね。でも、こんな時間だからもう眠いでしょう。おねえさんのここで寝ていいいのよ、なんて言われての、生まれて初めての知らない大人の女の人の膝枕。小学3、4年生の頃だったか。気持ちよすぎて、寝られたものではなかった。

ここは児童の来る場所ではない。心情的には優等生の子供だったので、必死で狸寝入りをした。でも、気になる。薄目を開けた。親父がおねえさんのドレスの胸元に紙幣を投入していた。大人の男の正しい金の使い方を知った瞬間だった。トラウマになった。俺の人生の転落はこのときに始まったのだと思う。

これは序の口だ。先日は母から父のとんでもない逸話を聞かされた。年をとると、平気でそういうことも話せるようになるのかと、母の態度にも驚いた。興味がある人はメールをください。うそです。とても言えません。

木曜日の朝、同じ1階で寝ている母から報告があった。昨夜の父の喀痰はひどく、ほとんど寝ていられないほどだった。朝食時には、パンやコップを持つ手も震えていたという。連日の出来事だった。父に調子が悪いのかと聞いた。でも、本人からはそんな感じの言葉も様子も返ってこない。ふだんとそんなに変わらない。痰が多いのは、それこそ心筋梗塞で倒れる前からの日常茶飯事だ。デイケア(通所リハビリ)の迎えが来た。そのまま送り出した。

だが、デイケア施設のバイタルチェックで38度の熱があった。送り返されてきた。14年の春にネフローゼ症候群になって、長く持っても2年と言われた。でも、この間、風邪を引くことも熱を出すこともなかった。主治医に連絡した。精密検査をしたほうがいいと言われて病院に連れて行くと、肺炎だった。

失語症の父は自分の体の状態をうまく説明できない。すべては素人の俺の判断にかかっている。今回は1日遅れたか、あるいはもっと前に対処すべきだったのか。もしかしたら、ずっと肺炎だったのか。年寄りの肺炎は怖い。治るとも言う。どうなるのか分からない。

昭和39年の東京五輪で、航空自衛隊が上空に五輪のマークを描いた。それを背景に母が赤子の妹をベランダで抱いている姿を撮った写真がうちの押入れのどこかにある。探し出して、また見てみたいくらいのいい写真だった。

今は、このとんでもない親父を何とか次の東京五輪まで生かして、五輪をテーマにした構図でその姿を撮ってみたいと思っているのだが、さて。

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