酔いどれ介護者の減塩食日記

月末に駆け込みで記事を更新する、夏休みの小学生みたいなブログです。

君も風になってみないか?~介護とクロスバイクの物語(前編)

CBクロちゃん改めクラウディアとは、もう東京から岐阜あたりまで走ったのかもしれない。付き合い始めたのは去年の10月中旬だ。サイクルコンピュータを取り付けたのは、それから2か月後。現在、そこに表示されている積算距離は204キロだから東京から静岡ぐらいになる。

クラウディアとの出会いはたまたまだった。ほんの火遊びのつもり、その気はなかった。でも、これまでのかなりしんどかった日々のことを思い返すと、うっすらと一筋の線のようなものが浮かび上がってくる。偶然の一言では片付けられない何かが作用したようにも思える。

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(クラウディア、夕陽を浴びる)

穴だらけだが、エバーノートで日記をつけている。「転倒」で検索して驚いた。思いのほか、たくさんの記事が引っかかった。例えば、こんな内容のものだ。

父の初転倒。大きな物音がして自室から急いで下りた。母によると、トイレに行こうとして滑って転んだとのこと。大事には至らず。やはり、常時見守らなくては駄目か。深夜にトイレに行くのをどうするか。説得してポータブルトイレを受け入れさせるか。

確かに、在宅介護をしている間、転倒によるものを含めて二度ほど骨折で入院した。でも、こんなに転んでいたとは思わなかった。無意識のうちに忘れようと務めたのか、単に薄情なだけなのか。これもそこまで意識はしていなかったが、結局はなるようにしかならないという、ある種の覚悟を決めての一か八かの介護だったのだとは思う。

回復期リハビリ病棟に入院中、父はほとんどトイレに行きたいと言わなかった。だから、病院は便意を感じる機能が弱っているのだろうと判断した。主治医からもじかにそういう説明を受けた。ところが退院した父は、尿意をもよおすと自らベッドから立ち上がった。その感覚は失われていなかった。

恐らく、父は看護師やヘルパーの手を煩わせることを嫌って便意を訴えることをしなかった。もとより失語症という障壁があった。意思の疎通がうまくいかない。できない、のではない。何しろ、当人はちゃんと話せている、他人の言葉も理解していると思い込んでいた(もちろん、これも本人から確認したものではない)。おかげで、言葉は悪いが、まんまと騙されたという格好になった。まさしく、話が違った。4年半前。そんな風に始まった在宅介護生活だった。

(つづく・・・のか)

以下、楽屋話。クラウディアを主役に「クロスバイクのすすめ」みたいな軽い記事を書こうと思ったのが、日記を開いたのが運の尽き。いきなり脱線してしまった。そんなつもりはなかったが、初めから書く羽目になった。当てはあるが、ここからうまくまとめられるかどうか。こんな記事を読んだのも影響したかもしれない。

母が亡くなった後、「死なせてしまった」「殺してしまった」とずっと自分を責めてきました。母が倒れてからの11年、いろいろ大変な場面はありましたが、今思うと、母の介護そのものをつらいと思ったことは一度もない。亡くなったことが一番つらい。

 出典:[藤真利子さん]母を失い自責の念も : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

正直、俺には介護はつらかった。きつかった。亡くなったのはつらくない。後悔することもない。でも、何度も難しい選択を迫られた。これでよかったのか、あれでよかったのかという疑念は折に触れて頭をもたげる。これは一生、自分の中で背負っていかなければならないものなのだろう。二度のうちの一度の骨折は俺との衝突によるものだった。

どんな内容なのかは知らないけど、著書名が「ママを殺した」だなんてあんまりだな。俺は明日、久しぶりにクラウディアに乗ろう。曇りの寒い一日になりそうだけど、外に出て風を感じてくるつもりだ。