酔いどれ介護者の減塩食日記

料理(レシピ作り)、家庭菜園(近日開始)、クロスバイク、介護・・・与太話を交えて。

親父の一周忌~オネエサンハ イツマデモ ゲンキダナア

5人兄弟の真ん中だったが、好んで親戚の集まりの音頭を取る人だった。そのときはもう2人しか残っていなかった。それでも、自分の姉がじき88歳になる。米寿の祝いをしなくちゃいけない。親父が心筋梗塞で倒れたのは、そう張り切っていた矢先のことだった。2013年3月だった。続けて、脳梗塞にも襲われた。伯母の米寿の会は立ち消えになった。

忘れられない出来事がある。親父がリハビリ病棟に入院していた頃のことだ。たまたま俺がいたときに、伯母親子が見舞いにきてくれた。親父より6歳年上の伯母は同じことを何度も繰り返し話すような状態だったが、体はまだしっかりしていた。そんな姿を見て、親父が口を開いた。

オネエサンハ イツマデモ ゲンキダナア

脳梗塞の後遺症で、親父は半身不随の上、ひどい失語症だった。テレビの動物番組を見て漏らす「カワイイ」や、怒りが爆発して出る「バカヤロー」という得意の一言ぐらいしかまともに話せなかった。それだけに驚いた。結局、主語も述語もある文章として、こんなにはっきりした言葉を聞いたのは、後にも先にもこれぐらいだった。

伯母はその3年後に亡くなった。死因はガンなのだが、朝に容態悪化、夕に死去の知らせが届くような急変だった。親父にガンのことは告げていなかった。困った。その死を知らせるべきか悩んだ。

俺は教えるべきだと思った。仲良しだった兄弟の、最後の姉が死んだのだ。でも、家族も親戚もみな教えないほうがいいと言った。精神的なショックを受けて、体に障る恐れがある。知らぬが仏とも言うではないか。同じような経験をしている人もいるだろう。ネットでも調べた。意見は真二つに割れていた。最終的な判断は俺に任された。

悩んだ末に決めた。真実を告げるばかりが能ではあるまい。恐らく、何もできない己の無力に打ちひしがれるだけだ。「オネエサンハ イツマデモ ゲンキダナア」。失語症の親父が唯一言葉にできたこの思いを生かそう。

それでも、俺の中にわだかまりはあったのかもしれない。もちろん親父には告げずに行った伯母の葬儀の最中だった。柔らかい寿司をかじった瞬間に、何の前触れもなく、強烈な歯痛に襲われた。これまでに経験したことがないほどの激しい痛みだった。歯医者通いは、それからほぼ一年間続くことになった。

今日は親父の一周忌だった。そもそも、坊さんを呼んで経を唱えてもらうような弔い方はしていない。身内もみな忙しい。お袋と二人で墓参りをした。今にも泣き出しそうな、どんよりと曇った日だった。

期待していた富士山が望めるような天気ではなかった。だが、霊園に着くと、陽が差した。妹が送ってくれた花を手向け、缶ビールを置き、線香に火を付け、手を合わせて聞いてみた。「そっちで、伯母さんはじめ、全員揃った兄弟で楽しくやってるかい?」。親父は何も言わなかった。

俺の判断は正しかったのか、間違っていたのか。それは今も分からない。それでもこの日、雨は降らなかった。

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永代供養の樹木葬。永代っていつまでなんだろう・・・。